こしあん日記 ~写真と猫とサッカーと~

子供たちの記録用にはじめたが、思春期になり写真を撮らせてもらえなくなる。写真と愛猫とサッカーが中心のブログです。

大分で最後の観光。臼杵城

19日、大分から香川に帰る日。

12時40分の臼杵港発フェリーにのるため10時半頃出発。途中スーパーでお昼ご飯も購入。

思いの外早く、11時過ぎに臼杵についたので、臼杵港近くの臼杵城跡を観光することに。

 

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臼杵城は大分の戦国大名大友宗麟の居城。

大友宗麟というと府内大友館を本拠と思いがちだが、実はこの臼杵城が本拠であったよう。その後大友宗麟の嫡男義統の居城になったが、日本の朝鮮出兵である文禄慶長の役で義統が敵前逃亡したことにより、秀吉の怒りをかい大友家は改易処分となったことで城主も変わることとなった。

 

ちなみに改易とは平民に格下げされることで、罰の重さでいうと

切腹>改易>蟄居

という順になる。

 

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堀にはカモや鯉の姿も見られた。

 

大友氏改易後は、最終的に関ヶ原の戦い後に稲葉貞通が入封し、臼杵藩初代藩主となる。

稲葉貞通は西美濃三人衆の稲葉一鉄の息子になる。

稲葉一鉄は各地で武功を立てた戦国武将。外孫の福はのちの春日局にあたる。

こうして臼杵城は明治維新までの稲葉家15代の居城になった。

 

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現在の臼杵城は天守も二の丸も、一部の櫓もないが、極力昔のままで保存されている。

このため、柵などがない場所も多く、なかなか趣深い場所だった。

 

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丘の上に建てられており、写真は大手門付近からの眺めだが、天守や二の丸があれば、城下を一望できたものと思われる。

 

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城内には大友宗麟の壁画と、島津家の侵攻を防いだ大砲の「フランキ砲」の銅像も飾られていた。

 

フェリーの時間があったので、二の丸付近のみの散策だったが、なかなか楽しませてもらった。